ジョン・シナ 独占インタビュー ~知られざる人生、輝かしい功績、そしてWWEを去った後の真実~

ジョン・シナ

※インタビューアー:トム・リナルディ (FOXスポーツのレポーター。過去にはウィンブルドンや全米オープンのテニス中継やゴルフ中継も担当するベテラン)

トム:本当にこの機会をくれて感謝してるよ。そしてこういう会話の場を持てることはその中でも本当に特別なんだ。
シナ:そうだね、俺たち同率1位かもしれないな。君の仕事もかなりいいからね。

トム:ジョン、今日は色々聞くよ。君の人生、歩み、そしてキャリアについてもたくさん。
シナ:聞きたいことを何でも聞いてくれ。
トム:じゃあ、これは俺が本当に実績を出して成功した人たちにいつも聞いている質問なんだけど、自分の情熱から成功を築いた人――君みたいなね。
「あなたの“やっていること(仕事)”と“あなた自身”はどう違うのかな?」

シナ:うーん、この質問にどう答えるのが最適か考えてるところだ。
ある人は、もしくはある考え方では「人はその行動によって定義される」って言うだろう。
でもね、俺の行動をすべて――本当に親密に繋がっても――すべてを見ることなんて不可能だ。だから変なんだ。俺は行動によって定義される。
でも君の質問はこう受け取ってる。「プロとして流暢にできることと“自分”はどう違うのか?」と。

そして俺のやることは、俺そのものを完全には定義しない。

トム:ジョン、その違いを理解して維持することに何か難しさはある?
特に君のようにプロファイル(知名度)やキャラクターが巨大になり、象徴的な存在になっていくことに。

シナ:いや、実はそこまで難しくないと思うんだ。一度それに気づけば、すごく簡単だよ。

「自分がやることは自分を完全には定義しない」って気づいた瞬間にね。

俺の出したどんな努力に対しても、他人の視点は“その人のもの”であって俺のものじゃない。
だから、鏡を見たとき「自分が誰か」をちゃんと分かっていれば、
「レスラーだからこうだ」とか「俳優として成功したからこうだ」とか
「面白いジョークを言ったからこうだ」とか、
そんなふうに固定されたり、縛られる必要はない。

それは俺ができることの一面ではあるけど、俺の全てじゃない。

だから気づいてしまえば本当に簡単なんだよ。
「あ、これは俺の全部じゃないんだ」と。
だからもし他人の視点――俺がコントロールできない視点――が変わったとしても、それはそれで大丈夫なんだ。

トム:では、ジョン、あなたが定義する「成功」とは何かな?今この場でどう定義する?

シナ:おお、いい質問だね。
俺も質問で返したいくらいだよ。でも君の時間を無駄にしたくない(笑)
でも深掘りしたい。君ならどう定義する?

トム:俺の場合は…ミクロとマクロの2つがある。

シナ:いいね。

トム:ミクロではね――そして俺はこれによく失敗するんだけど――
「その日、神が与えてくれたものを最大限に活かせたかどうか」。
つまり、人を満たす機会があったとき、ちゃんとそれをできたか。
そして自分の一日の時間を、自分にとって意味があることや、他者に貢献することにしっかり注げたか。
これに俺はよく失敗する。

マクロでは、「満ちた、多様な人生を送った」と感じるだけじゃなく、
少年の頃に持っていた“好奇心”を最大限まで使い切れたと思えるかどうか。
人生って色んな形でその好奇心を奪おうとしてくるから。

シナ:君が今言ったのが本当に面白かったのはね、君自身の“成功の定義”を説明した後、
「俺はそれによく失敗する」と続けたところだよね。俺も君が示した道筋とすごく似てるんだ。

俺にとって成功とは、単に「人生を最大限に活かしたという充足感」
それだけなんだ。その形は誰にとっても違っていい。

俺の言い方だと「夕日を迎える資格を得る」とよく表現するよ。でもそれは「核反応みたいに生産性を爆発させろ」という意味でもない。
もし僕たちが“分析”で、人をどう評価するかを見るなら59点以下が「失敗」、60点以上が「成功」なんだ。つまり成功は“平均以下”から始まる。
60点から成功で、100点が“卓越”になる。だから君が「俺はよく失敗する」と言ったとき、
多分 Cマイナス(70点前後)が何回かあって、
Dプラス(65点前後)もいくつかあるんじゃないかな。
俺が“夕日を迎える資格を得る”ために生きているときなんて、
Dマイナスの日がたくさんあるよ。Dプラスの日もある。
Cマイナスの日も多い。Bの日はもっと多い。
Aプラスの日なんて本当に少ない。
でも Aプラスを取れる日が来たら、それは特別な意味がある。
そして「よし、もうちょっと先まで行けるかも」と思えるんだ。

トム:君にとっての Aプラスの日って何? ジョン。

シナ:人生そのものの多幸感で満たされる瞬間が続く日だよ。言葉にできない。これが一番近い表現だ。
それが24時間続くとか、疲れ果てて目を閉じるまで続くような日。
そうだな…僕の結婚式の日は、Aプラスの日だったと言える。
でもあれには莫大な準備が必要だった。
“自然発生的なAプラスの日”ってそんなにないんだ。
ただ、最悪の時期でさえ“自然発生的な Aプラスの瞬間”はたくさんあった。
でも Aプラスの日 というのは、たいてい大量の準備と努力の上に成り立つ。
つまり――
①自分の価値観を定義し
②それを“実際に行動で示す”という、とんでもなく難しいことをし
③それについて振り返り、「俺は本当にそれを生きているのか?」「この価値観は本当に自分のものか?単に誰かの名言から拾っただけじゃないか?」と考える。
こういうこと全部が“努力”なんだ。
だから俺にとっての成功は、夕日を迎える資格を得ること=充足感を持つこと、
そして “59点以下” を「失敗」として正しく自分を評価し続けられる柔軟さだ。


トム:長い間、人々があなたを応援してきたのはなぜだと思う?

シナ:えっ、俺たち同じものを見てる?(笑)


トム:その評価に異議はある? ジョン。


シナ:いや、強く異議を唱えるよ。
僕はWWEで“賛否両論の観客”の前に立ってきたからね。
だから「なぜ人が僕に興味を持つのか」について良い答えがない。
もしあれば、それを分析してさらに提供できるのに。良い答えがないことにむしろ感謝してる。
なぜなら――“観客が求めるもの”を提供しようとしすぎて、自分を見失う危険があるから。
大きく振りかぶって、ただ“本物でいる”ほうがずっと良い。

トム:それはつまり、ジョンという潜在的に深い鉱脈を突いていると思うんだ。繰り返しますけど、これは間違いなく私の弱点です。君にとって重要なのは誰の承認ですか?


シナ:これは深い話だけど…誰の“承認”が君にとって重要なこと?
その答えは、年を重ねるごとに変わっていく。
今の僕にとって承認が必要なのは…まず妻だ。
彼女は俺のパートナーで、俺たちは“二人三脚”をしているようなもの。
だから彼女。そしてそれだけだ。
そして自分自身。
自分がやっていることを、自分が受け入れられるかどうか。
僕の人生で最も厄介な時期は“他の誰かの承認”を先に優先して、
それでもその行動を実行してしまい、後で自分が納得できなかった時だ。
でも、それらは素晴らしい学びでもあった。


トム:例えばどんな例があるのかを挙げてもらえる? ジョン。


シナ:高校2年のときのことだ。あるグループの子たちが他の子たちをバカにしていた。
当時の僕は毎日ボコられ、笑われていた側だった。
だから今度は“そっち側”にはなりたくなくて、
“カッコつけたい”気持ちもあって、グループに合わせて何か言ってしまったんだ。
でも、それは本当の俺じゃなかった。
口に出した瞬間、「取り消したい」と思った。
幸運にも、そこに学校の指導担当の先生が通りかかった。
僕は実際には3年生だったんだけど、
彼女は俺を見てこう言った。「君、今すぐ職員室へ。」
座らされた後、先生はこう言った。「なぜ私が君を退学にしない理由を説明してみなさい。」
俺はこう答えた。「良い答えはできません。」
すると先生は言った。「いま見たものは “君ではない”。」
「二度とそうならないようにしよう。」
まるで運命みたいな出来事だった。でも、これがまさにその“例”なんだ。
俺はただ人生で初めて“社会的な受け入れ”を少し感じられたからそのグループに合わせようとしただけだった。
それは気分が良いし、報われる感覚がある。
そして俺は自分の価値観に反することをしてしまい誰かに指摘されて――本当に指摘してもらえてよかった。でもその早い段階で俺はこう思ったんだ。
「俺はそもそもこんなことしたくなかった。この子たちは、普通の俺とだって付き合ってくれるだろう。
もし俺そのものじゃ付き合ってくれないなら、もういいや」って。


トム:それは誰の人生でも“転換点”になる瞬間だと思うし、君の場合ももちろんいくつも転換点がある。今日はその中でも特に私が君の話で聞いたことがあるものや、読んだことがある転換点をいくつか選びたい。

ジョン:もちろんだよ。


トム:私が聞いていて特に印象に残った話がある。
君には、ある時期「軍隊に入る」と本気で思っていた時期があった。海兵隊に入ろうとしていたんだよね。何が起きたの?


シナ:そうだね……“運が良かった”という言い方が正しいかな。ただ、軍でのキャリアが悪いと言いたいわけじゃない。むしろ俺は軍でもよくやれたと思う。

簡単に言えば――俺は小さな田舎町で育った。これがものすごく簡単な説明。
そこから、運よく進学校に進む機会をもらって、そこで視野が広がった。好奇心が一気に火がついたんだ。

そこからは大学に行くよう勧められてもっと大きな世界に触れ、さらに好奇心は広がった。

そして4年間、脳が完全に形成されていく中で自己探索をしながらこう思ったんだ。

「もっと旅をすべきだ」「西海岸に行って、自分の学位(健康&フィットネス系)を活かしてみよう」
当時は1999年で、そういう仕事は全部ロサンゼルスを中心に動いていた。

だからLAへ行って、自分の持っている“紙切れ(学位)”を使って仕事を探したけど――あらゆる所で失敗した。どこにもフィットしなかった。それで俺は自分に問い始めた。

「自分には何ができる?」「自分の強みは何だ?」

俺は“規律ある環境”が好きだし、スポーツ選手でいることも好きだった。
スケジュールがあって、 規律があって、価値観があって。

警察にもなろうとして試験を受けたけど落ちた。だから軍隊はすごく魅力的に見えたんだ。
サンディエゴに海兵隊の基地があって、車で行けたし、22歳で、体重235パウンド(約107kg)、動ける身体だったし、断られないだろうと思った。

食事も保障されるし、給料も出るし、冒険もできる。訓練もできるし、ずっとトレーニングできる環境がある。服のオシャレなんて気にしなくていい。
当時の俺が「自分はここなら得意になれる」と思う条件の多くに合っていた。


そして、入隊しに行こうとしていたその“週末”、友達がこう言ったんだ。

「お前、レスリングの話よくするよな?オレンジ・カウンティで練習してみれば?」

まさにその“海兵隊に行く予定だった週末”だ。そして友達が聞いた。

「やってみようと思ったことある?」

そこで俺は入隊の予定を遅らせて、こう言ったんだ。

「ちょっと…見てみたいな。」


オレンジ・カウンティの LA Boxing に着いたときのこと、今でも覚えてるよ。
ガラス越しにリングが見えた瞬間、こう思った。

「クソみたいな仕事でも何でもやるから、これを週末の趣味にしたい。」

それは僕にとって“ボートを持つ”感覚に近かった。
(僕の兄貴は週末にボートに乗るのが好きだから、その例えを使う。)

つまり俺にとってレスリングは“ボート”になった。
9時から5時までのつまらない仕事が “苦役(the suck)”。
そしてそのおかげで、自分のボスになれる“週末のスーパーヒーロー”になれる。


だから俺はレスリング業界に入った。本当に運が良かった。
決断のギリギリのところでレスリングが俺を見つけてくれた。

しかも「お前体でかいし、この業界で稼げるぞ!」なんて理由じゃなくて、
単に“フリーマーケットやバーベキューで試合するのが楽しかったから”。


トム:あの窓越しにリングを見たとき、何を感じたの? ジョン。

シナ:たぶん、15歳のときに初めてフットボールのヘルメットを渡された時と同じ感覚だ。

「これは可能なんだ」と思えた。俺の町(ウェスト・ニューべリー)には少年フットボールがなかったから、15歳になるまで本物のヘルメットなんて触ったことがなかった。

でも15歳で初めてパッド、ジャージ、ケンタッキーグリーンのヘルメット(白いフェイスマスク)
全部を受け取った時―「これは現実だ」と思えた。

そしてあのリングを見た時も同じだった。「あの扉をくぐれば、これは“手が届く”世界なんだ。」って。

それ(リングを見た瞬間)で本物だと感じたんだ。もう“夢”じゃなくなった。
そして、WWEはいまは本当に素晴らしく人々を正しい方向へ導いてくれる。だけど26年前は違った。とても守られた “カーニバル(興行)ビジネス” で、「自分が持ってるものを守るために、どうやるかなんて絶対に人には教えない」という世界だった。秘密主義で、自助グループ的な文化もあって、全部が秘密だった。

今は最高だよ。だって才能ある人たちが入りやすくなったからね。
でも当時を思うと、運命だから仕方ないけど、もし本当に簡単に見つけられる環境だったらって思うこともある。だって、トリプルHが訓練していたスクールなんて、俺の実家から車で25分の距離にあったのにそんな場所があることすら知らなかったんだ。キラー・カワルスキー(1950~70年代に活躍したプロレスラー)の学校も同じくらい近くにあったのにまったく知らなかった。


トム:次の“転機”の話に行く前に、ジョン、誰の人生にもあると思うんだけど、あなたにとっての「最も低い地点」っていつだった?

シナ:そうだな…自分を“十分じゃない”と感じるどころか、“価値がない” とまで感じてしまう瞬間だよ。
そんなことは頻繁にはない。ほとんど無い。本当に幸運だ。
でも、人間だからどうしても自分自身の邪魔をしてしまう時がある。
それが、俺にとって“最低”の瞬間だと思う。

それはお金の成功とか、肩書きとか、そんなものとは全く関係ない。
人生のどの章にもそういう瞬間は少しだけあったけど、幸いにもどれも“1段落”くらいで済んでいる。
本当に運が良いよ。


トム:その中で、1つだけ教えてもらえるものはある?

シナ:うーん…それは俺の中だけに留めさせてくれ。

トム:わかった。
じゃあ別の話を。ステファニー・マクマホンが、バスであなたのことを耳にした時の話があったよね?
何が起きたの?

シナ:まず言っておくけど、人はそれぞれ自分のストーリーを語るから彼女の見方は俺とは違うだろうし、当時バスの後ろで俺と一緒にいたメンバーの見方も違うだろう。でも、俺にとってはこんな話だ。

俺はWWEをクビになる予定だった。
WWEは毎年クリスマスと春に人員整理をやるんだ。そして俺は、ちょうど“切られるリスト”に名前が入っていた。

デビューした時、俺は “Ruthless Aggression(無慈悲な攻撃性)” の象徴としてテレビに出たけど、
観客と全然つながらなかった。
理由は、俺が“本物の自分”じゃなかったから。

さっき話しただろ、誰かに“自分の経験を管理されてしまった”って。あれが本当にキツかった。

昔の俺は常に“自分自身”だった。
半分ロボット、半分人間という変なギミックの時ですら、あれは“俺”だった。
ケンタッキーに移った時ですら、自分らしくいられたし人が俺の出身を嫌っていても、
本物であることで信頼を勝ち取った。

だけど、
大舞台に上がるために使ってきたスキルを全部しまい込み言われたことだけをやるようになってしまった。

そのせいで、俺はクビ寸前まで追い込まれた。

当時言われたアドバイスが「耳を開けて、口を閉じろ」
これは本当に良いアドバイスだ。
俺は一番賢い人間じゃないし、そうなりたいとも思わない。
だから“聞く姿勢”は大事なんだけど、俺は聞くだけになってしまった。
自分を出す“勇気”が完全になくなった。

プロレスラーはみんな“クリエイティブ”な人間だ。
だから、俺が何かやっているのを見れば「それTVでやってみれば?」
と言ってくれるかもしれない。

俺も後輩に何度もそう言ったことがある。
「そのキャラ、どこいった? 俺を楽しませてるぞ。 それをTVでやれよ」ってね。


トム:その時、あなたはどこで何をしていたの?

シナ:ヨーロッパツアーの真っ最中だった。それがクビになる前の“最後のツアー”になるはずだった。WWEは本当に誠実で、俺にちゃんと教えてくれたんだ。

「うまくいってないよな?」
「そうだね…うまくいってないよ」
「あなたの名前、リストに載ってる。知らせておくよ。」

そして最後にこう言った。
「最後に何か見せてみろよ」まるで良いコーチみたいに。

俺は、「ああ、これで終わりなんだな」と理解していたから、
もう小さくまとまる必要はないと思っていた。

そして“バスの後方“、そこだけが全員が一緒にいる時間だったんだ。だから本当に偶然が重なったんだ。
海外ツアーの時だけ、俺たちは全員で同じバスで移動する。
普段はそれぞれが別行動だったり、自分で移動したり、仲のいいメンバーと移動したりする。
だけど、この時だけは “全員が一緒” というすごく珍しい状況だった。
そしてもっと珍しいことに、
全員が揃っている状態で、テレビ番組の収録日だった。
昔は海外ツアーといっても、20日間のうち18日はノンテレビのライブイベント。
だから “テレビ収録日” に全員が同じバスにいる確率なんて本当に低かったんだ。
そんな状況の中で、バスの後方でレスラー達がラップを始めた。
バスの前の方には、テレビのクリエイティブ責任者が座っている。
俺は聞きながら思ったんだ。
「これ、俺が大学とか高校でよくやってたやつだ。
 ヒップホップも好きだし、今入っていけるぞ。」
でも同時に、「いや…やめとくか…」と躊躇もしていた。
でも最後に、こう思った。
「いや、やってみよう。」
俺はノートPCをパタンと閉じて、立ち上がって、ラップの輪に頭を突っ込んだ。
そしてすぐに自分の番が回ってきて、思っていることをそのままフリースタイルで言い始めた。
だいたい4分くらい続いたかな。
その間で、バスの全員をネタにしてディスったりして、めちゃくちゃ盛り上がった。
バスを降りた後、ステファニー(マクマホン)が俺に近づいてきて、
「どうやって全部覚えてたの?」と聞いてきた。
俺は答えた。
「いや違うんだ。あれは覚えてじゃなくて、全部即興なんだ。その場で思いついたことを言ってるだけ。
 だから人によって短かったり長かったりするんだよ。」
するとステファニーは言った。「それ、テレビでやってみない?」
もちろん俺は “はい、やります” と答えた。
その瞬間、勇気を出して踏み出す時だと思ったからだ。
そしてこれは、自分が本物の自分として勝負できる唯一のチャンス だと感じた。
ヒップホップが“俺そのもの”というわけじゃない。
だけど俺が持っている一つの側面だし、
当時のWWEにはヒップホップ的なキャラはほとんどいなかった。
俺は思ったんだ。
「マサチューセッツ州ウェストニューベリー出身の白人がギャングスタ気取りとか、
 俺だったら絶対嫌う。でもだからこそ、観客も嫌う。それが“リアクション”になる。」
そして、相手レスラーに提案した。
「試合の最初、俺に話す時間をもらえますか?2分半くらいでいいので。」
相手も「いいよ。俺はその後7分間お前に殴られるだけだから。」
と了承してくれた。
その2分半で、俺は観客とつながれると確信していた。
それが、自分がクビにならずに済む唯一の方法だとも思った。
そしてその偶然の瞬間、俺は
“他人の指示に従いすぎて後悔していた自分” を捨て、
 本当の自分を出し始めた。

トム:観客と“つながっていない” と感じていた時、それはどうやって理解したの?
どの瞬間「これはうまくいっていない」と気づいた?君なら「試合を見ればわかるだろ」と言うかもしれないけど、盲点や見えていない部分もあるだろうし。

シナ:良いゴルフショットを一度打てば、“悪いショット” がどういうものか、すぐに分かるんだ。
俺はデビュー戦、シカゴでカート・アングルのオープンチャレンジに登場した。
カートは殿堂入り級のスーパースター。そしてシカゴの観客は常に熱い。
俺は“良いショット”を打った。つまり、観客の反応が大きかった。
だからその後少しでもその時の音と違えば、全部“悪いショット”に聞こえた。
観客はちゃんといるのに、その声がない。静かなんだ。
「これは“空席の音”じゃない。“無関心の音”だ。」
その現実を受け入れられるだけの謙虚さが俺にはあった。
何をやっても、観客は買ってくれない。応援してくれない。
俺はキャラの枠内でできることを全部やったけど、
それでも足りなかった。
だからステファニーが「新しいことを試してみれば?」と言ってくれた時俺は本当に救われた。

俺はこう思ってる。俺ってライトビールみたいなんだ。味はいいし、軽い。そんな、ほとんどリスクのない環境で、俺はSmackDownの小さなセグメントからキャリアを始めた。でも、ここをみんな理解してないんだよ。

それから俺は土曜日に放送していた番組、Velocityに移された。あれはただのコンテンツ番組で、RawやSmackDownみたいにストーリーの流れがあるわけじゃない。ただのWWEの追加コンテンツみたいなものだ。でも俺はそこで“これは俺の番組だ。俺が仕切るんだ”と言ってリングに上がった。

俺はそのブランドを自分のものとして受け止めていた。ラップでこの番組を盛り上げてやろうと思ってたし、「あぁVelocityかよ」とか「週末の下位番組かよ」とか愚痴る代わりに、「よしやってやろう」と思ってた。“土曜の夜は俺の夜だ”って本気で信じてたから、それが広まっていったんだ。

もし俺の役割が土曜だけでも、喜んで受け入れるつもりだったし、それで“いいキャリア”を作れると思ってた。実際は“いい”なんて言葉では収まらないキャリアになった。

気づけば四半世紀だ。

トム:実際どれくらいに感じる?

シナ:一秒が一ヶ月みたいに長い時もあれば、25年が一瞬みたいに感じる時もあるだろ?俺は後者だ。

トム:何十年が一瞬に感じるのはどんな瞬間?
シナ:「四半世紀だよね、どれくらいに感じる?」と聞かれた瞬間だ。思い出を全部たどろうとするけど、ところどころ抜けてる。「2006年は何してたっけ?」って感じだ。でも少しヒントをもらえば「ああ、あれか」と思い出す。そういう時に、何十年も一秒みたいに感じるんだ。

トム:なぜ君は“WWEの顔”としてこれだけ長く存在し続けられたの?
みんなの注意力は縮んで、新しいものを好む人もいればすぐ嫌う人もいる。そんな中でなぜ君は耐えられたの?

シナ:まず質問を正確に理解したい。注意力が短くなる中で、俺は“時代から外れつつある”とも思ってるよ。

トム:本当にそう感じてるの?
シナ:あぁ、だって引退を決めたのは俺だ。自分の能力が今のWWEのレベルに合わなくなったら残らないって約束していたし、もう合わない。俺は48歳だ。走力も落ちている。今のWWEのレベルには対応できない。でも、それでいい。“やっていること=俺”ではないからだ。

だから今は「他の選手たちに任せるべきだ」と思っている。彼らは本当にすごいし、今の俺が続けたところでファンにとってはむしろマイナスだ。だから退くべき時なんだ。

トム:「今年が最後だ」と感じたのはいつ?
シナ:今年は完全オフのつもりだったのに、まったくそうならなかった時だ。俺は長い間パートタイムとして戻ってはオープニングを担当したりしていた。オープニングって本当に大変なんだ。15〜20分しゃべって、その後ストーリーにも試合にも絡まない。観客のエネルギーを織り交ぜつつ、後に出る選手たちの盛り上がりを削がないように話さなきゃならない。

だから、「戻ってきてほしい」「オープニングをお願いしたい」と言われるたびに、「ああ、そういう時期なんだな」と感じていた。

2013年からは新しい選手たちと組まされることが多くなったのも象徴的だったし、48歳で(人生の)カレンダーを考えると色々見えてくるものがあった。

今年は仕事を減らすつもりで、「今年何もなければX(旧Twitter)に“引退します”って書こう」
とまで思っていた。どちらでもいいと考えていたんだ。

でも「これができる」「あれができる」と企画が来たから、「今年しかない。やるなら今年。やらないならもうやらない」と思った。そして俺の次の課題は、それをWWEに売り込むことだった。ファンじゃなくて、会社にだ。

俺はWWEに説明した。「急で悪いけど、前から考えていた。これはビジネスとして成立すると思う。どうだろう?」と。するとWWEは「何言ってるんだ、最高じゃないか」と言ってくれた。

ただ、俺はWWEを“年間228日、週5日、毎日違う街で試合をする会社”として見ていた。でも今のWWEは“ライブイベントも優れているけど、本質はコンテンツ企業”なんだ。選手を疲弊させないようにもしてる。

だから俺が「今年丸ごと使って200日試合したい。世界中に恩返しに行きたい」と言った時、WWEに言われた。「200日!? いや、36日でいい」と。

その時に初めて「これなら映画の仕事と両立できるかも」と思った。WWEも「もちろん構わない。この期間だけいてくれればいい」と言ってくれた。

俺はプレゼン資料まで作り、収益の予測もして、「ビジネスとして成立する」と必死に提案したんだ。でもWWEは言った。「それはうちのビジネスじゃない」と。だからその案を捨てて、彼らのプランに従った。これで良かったと思ってる。思い込みが正しいとは限らないからな。

トム:引退して一番大変なことは何になると思う?
シナ:正直特にないと思う。俺たちはいつかいなくなる。この俺たちの“終わり”をいつも考えている。自分が不死だとは思ってないし、明日死にたいわけじゃないけど、いつかは終わる。自分では選べない。

トム:でも芸術家やアスリート、パフォーマーは“2回死ぬ”と言われているよね。キャリアが終わる時に一度、そして本当に死ぬ時にもう一度。それについてどう思う?


シナ:俺はそうなるのは、“キャリア=自分の全て”と思っている場合だけだと思う。もし「これが俺の全てだ」と思うなら、確かにキャリアの終わりは“死”だろう。でも俺は違う。俺にはまだまだ好奇心がある。WWEがなくても楽しみもあるし感謝できることもある。だから俺はただ次の人生を生きるだけだ。

トム:年末に完全引退して、二度とリングに戻らない?
シナ:リングに立つこと、身体を使うことは100%もうしない。でもWWEの“アンバサダー”としては続ける。あと5年契約してるし俺はずっとWWEの一員でいたいと思ってる。だからこそ俺は“絶対に”と言い切れるんだ。なぜなら、俺が約束した人たちを失望させたくないからだ。そしてこれが成功しうるスタンダードを示すことで、スーパースターたちが自分の“死”に向き合う時、2回死ぬ必要がなくなる助けにもなると思っている。

「少し時間があるなら、このことについて考えたり話したりしていいんだ」と。長期的に計画する必要があるから、俺は最初のショーの9か月前から計画していた。つまり、9か月間このことを考える時間があるということだ。

みんなが俺に「どんな気分だ?」と聞いてくるけど、俺は「大丈夫だよ」と答える。なぜなら、9か月かけてこのアイデアを練り、WWEに提案し、そしてさらに9か月考える時間があったからだ。

2回死ぬ必要なんてない。

そして俺はここに来て、ハイレベルでパフォーマンスし始めた時からみんなにこう約束していた。

「俺が一歩でも踏み外したら、その時は去る」と。

もしその約束を破れば、ファンとして俺を好きでも嫌いでも、それは他の誰より“俺自身を裏切ること”になる。

だから「二度と戻らない」と言える。

それにもうひとつ。ファンは自分の稼いだお金を使ってイベントに来てくれている。だから俺は引退を何度も繰り返すミュージシャンたちを責める気はない。それは彼らの選択だ。でも俺はそういう“フェイント”的なことはしたくない。それは俺の流儀じゃない。どちらが正しいとか間違ってるとかではない。俺にとっての“チキンスープのレシピ”がそれなんだ。俺はそれでいい。

だからこそ、誰かが「これがロンドンで最後の試合なんだ」と感じて、そのまま終われるのがいいんだ。それが好きなんだ。

トム:ヒールターンはいつ形になり始めたの?

シナ:その質問の意味はこうだろ?「今めちゃくちゃサスペンスのあるテレビ番組の途中だけど、ネタバレしてくれない?」俺からは聞き出せないぞ、相棒。

でも、約束しよう。俺は約束を守る男でありたいから言う。シーズンが終わったら、またあなたと話す時間を作りたい。今日はずっと哲学的な話をしてきたけど、俺はそういう話をいくらでも続けられる。そしてシーズンが終わったらその質問に答えるよ。ただ“シーズンの途中”には答えない。どうだ?

トム:十分すぎるほど公平だ。俺たちは“時代”が好きだ。だけど“ライバル関係”も好きだ。君は“時代”についてどう考える?

シナ:俺はこう思う。それが“自分のチーム”や“自分が推す人物”なら、最高の時間になる。でもそれは観客全体から見れば小さな一部分でしかない。

NFLにはたくさんのチームがある。でも“いつも勝っているチーム”はひとつだけだ。他の全員は不満を抱く。

トム:じゃあ“時代”はリーグ全体、活動全体にとってどんな価値をもたらす?
シナ:それは難しい問題だ。良いとも悪いとも言えない。長期的なデータが必要だ。そしてこうも思う。
ライバル関係は競争が存在するあらゆる場面でとてつもなく強力なエンジンになる。

トム:ドレイクとラマー(ラッパー)でも、ドジャースとヤンキースでも、ライバルっていろいろあるよね。レッドソックスとヤンキースの歴史は本当に長いし。自分にとっての “ライバル” をどう定義するかって話になる。

シナ:うまく言い表したいんだけど、相手は “存在” なんだよな。そこに難しさがある。俺たちはパフォーマーやカードの組み合わせを使って面白いものを作る。

それがWWEの、純粋なスポーツより優れてるところでもある。スポーツだとあるチームが別のチームに強いからといって、そのチーム同士に“憎しみ”が生まれるわけじゃない。でもボストンとニューヨークのライバル関係って、勝ち負けだけの話じゃない。ニューヨークの文化が嫌いとか、ボストンの文化が嫌いとか、運転の仕方だとか、しゃべり方だとか、ホットドッグの食べ方だとか、全部含めてのものだ。

俺たちは常に観客に「こいつと戦いたい」「こいつが気に入らない」と思ってもらえるように仕掛けていく。スポーツからもドラマからもいろんな要素を引っ張ってこれる。それが強みだ。

で、俺にとって一番の “ライバル”、あるいは “チャレンジ” を端的に言うなら“会場” だよ。あの空間そのものが最大のスーパースターなんだ。

トム:これは別に、次に名前を出すからって前置きじゃないんだけど…ロックとはどんな関係なの

シナ:あれは “タイミング” で変わる。そう表現するのがいちばん正確だと思う。せっかくだし最初のところから話すと、俺がロックを初めて見たのは2000年、ベニスのゴールドジムのフロントで働いてたとき。レスラーたちがよくそこでトレーニングしてたんだ。だからロックに「写真撮っていいか?」って聞いた。どこかに、金髪角刈りの俺とロックが並んで写ってる写真があるはずだ。俺は栄養サプリの店のポロシャツ着て、ロックはサングラスかけて「ヘイ」って感じで。

それが俺とロックの時間軸の始まりで、今までずっと続いてる。だから “タイムラインによる” って言ったわけだ。そりゃ険しい時期もあったし、すごく良い景色も見た。でも25年間つながってるってことは、それだけで価値があるんだ。ただの一瞬の写真だけで終わってたら、ロックにとっては記憶にも残らないワンシーンだったかもしれない。でもそうじゃなかった。お互いにそれぞれの見方があって、それが長い時間をかけて続いてる。それがこの関係を説明する上で大事なところなんだ。

トム:彼から学んだことは? 逆に彼はあなたから何を学んだと思う?

シナ:彼が何を学んだかは本人にしかわからない。そこは俺が言うことじゃないよ。俺が学んだのは、“徹底したクオリティ” だ。絶対的な卓越。ゴルフで言えば、自分でも完璧だと思えるショットを60発そろえてスコアカードを出す、そういう感覚を教わった。たとえ本人の心の奥で「もっとやれたかも」と思っていても、結果として響く“音”がある。俺が学んだのは、その“音”だよ。俺たちが共有した瞬間には、必ずあの“音”があった。あれがない時間なんて一度もなかった。それって誰かと組んだときに毎回あるようなものじゃないんだ。普通は必ずどこかで“無音の時間”ができる。でも彼とはそれがなかった。

トム:もしこの仕事をしていなかったら何をしていたと思う?

シナ:たぶん今ごろドイツの基地で制服を着て仕事してたと思う。誰かの号令の下で腕立てしてるか、あるいはちゃんとしたオフィスで働いてるか、そのどっちかだな。正直、自分は軍隊の生活にけっこう向いていたと思う。

しかもいいことに、そこは自分で気づけた。自分の強みを理解した上で今でも“規律”が好きだし、スケジュールがあるのも好きだし、早起きして動き出すのも好きだ。今でもトレーニングするのが好きだし、自分の価値観の多くはあの世界で教えられるものと同じだと思ってる。だからあっちでもうまくやれたと思う。少なくとも “追い出されるようなこと” にはならなかったはずだ。

それに軍っていうのは、数年だけやって出ることもできるし、本当に情熱があれば長くいられる場所だから。たぶん俺はその道に進んでたと思う。

トム:次の質問も好きなんだ。いろんな成功した人たちに訊いてきた。セリーナ(・ウィリアムズ:プロテニス選手)にも、タイガー(・ウッズ:プロゴルファー)にも、幸運なことに君(ジョン)にも訊けたし、また新たにセリーナも“名前を挙げていい人”の中に入るわけだ。「心に残ってる批判は何?」って質問ね。

シナ:うーん、それは本当にいい質問だ。ちょっと具体的な話じゃなく、もっと全体的な話になるんだけど……今、ずっと頭の中で全部の“カードファイル”をめくってた。というのも、多くの人は自分が本当に言いたいことを上手く言葉にできないことが多い。この業界ではいろんな“フィードバック”が入ってくる。そして俺たちには“ルール”と呼ばれるものがある。でもそのルールってただ俺たちをベストな状態にするためにあるだけなんだ。だけど多くの人は、それをただの官僚的なルールとして受け取る。

でも俺は「それはやらない」って言える唯一の人間だと思う。なぜそのルールが存在してるのかを理解してるし、「これはこういう理由であるんだ」って説明できる。俺に最高のパフォーマンスをさせるためにあるのに、いまのこの状況には合わない。ただ決まり文句を読んでるだけだろ? 俺はこれから別のことをやりに行くんだよ。

だから、これまでにもらった膨大なフィードバックを全部ふるいにかけたときに見つかる “ひとつの批判”、あるいは “一貫したテーマ” はこうだ。

「それがお前のベストか?」

これが、画面上の仕事でもフットボールでも、学生時代に学業アドバイザーに呼び出されて叱られたときでも、全部の批判に共通する“一本の線”なんだ。

その質問に「はい」と答えられたとき、それはもう批判じゃなくなる。受け入れなんだ。でも、同時にそれは “自分で答えられる質問” でもある。

「それが自分のベストか?」
「はい」なら、そこで荷物を降ろせばいい。背負い続けなくていい。求められているのは“自分の全部”なんだから。

逆に、その質問に対して「いや、もっとできる」と思う瞬間もあった。そういうときは“自分はもっとやれる、もっと良くなれる”って自覚する瞬間で人生の中で大事な転機になってる。

トム:高校時代の話以外で、何かシェアできる具体例は?

シナ:あるよ。観客の声だ。いいところは、誰かに引き出してもらう必要もない。そのまま飛び込んでくる。“You can’t wrestle(お前はレスリングが下手だ)” のチャント。俺は毎晩同じ5つのムーブで勝ってたからね。で、観客はこう言ってるわけだ。

“他のレスラーはもっとすごいことやってるのに、お前は最後に5つの技だけで勝つのかよ”

なぜなら俺は “ストーリーの流れの中で時代(dynasty)を築く側” にいたから。で、もしその“時代を築く側”が自分の推してるレスラーじゃなかったら、ファンはきついんだよ。それは学んだ。

観客が求めていたのはこういう主人公だったんだ。
「いやいや、この男はボコボコにされても絶対に止まらない。何度も叩きのめされても、最後にまた立ち上がって、違う道を見つけて勝つんだ」

それがファンの言う“俺のキャラ像”だった。
そして、それが俺が受け取った中で最大の批判だった。そうなんだけど、「このレスラーやこのレスラー、あのレスラーの方が技がすごいし、見た目も良い」って声をずっと聞いてるうちに、俺はもっといろいろやるようになった。でもそれは正直、俺たちの言葉で言うと“ぎこちなくて変則的”に見えた。でも俺はちゃんと耳を傾けたんだ。

そしてキャリアの途中で、レスリングスクールに戻った。もっと新しい世代のレスラーたちのところへ行って、「俺は何が向いてると思う? 何か教えてくれない?」って訊いて回った。サミ・ゼインとか、ケビン・オーエンズとか、AJスタイルズが最初にWWEに来たときもそうだし、トップにいた頃に一緒にやったCMパンクもそうだ。「もちろんだよ、何を教えればいい? どうすればもっと良くなる? どうすればお前をもっとよく見せられる?」って、そういうやり取りをしてた。俺の方からも「君をもっと輝かせるにはどうしたらいい?」って必ず言ってた。

で、それは全部、観客が「ユーモアじゃなく、本気で大声で“You can’t wrestle(お前はレスリングできない)”」って叫んだからこそなんだ。観客は、相手を完全に引きずり下ろすまでどんどん押し込んでくる。でも俺はそこで、「何がわかるんだよ、できねえわけねえだろ」とかは言わなかった。「もっと良くなるよ」って思ったんだ。ハードリセットじゃなくて、自分らしさを保ったままもっと良くなりたいって思った。

そのための一つの手段が“USオープンチャレンジ”だった。ロックとのメットライフでのメインイベントから2年後、俺はUS王座を取った。そのときの俺のキャリアに流れてた“別の共通のテーマ”がこれだ。

「降格なんてものは存在しない。すべてはチャンスだ。」

トップに立ったあとでUS王座の仕事が来ても、「そんなのやらない、格下だ」って思うレスラーは少なくないと思う。でも俺は「俺にやらせてくれ、これで何かできる」と思った。そして獲ったあとで、「何かプランはある?」って聞いたら「何もない」って言われた。それを聞いて俺は「最高だ。じゃあここから俺が作れる」って思った。

それで俺はそれを“テレビでハイレベルな試合をやるための土台”にした。長めの試合をやるためにも使った。当時は試合が多くてトークが少ない方向性になっていたから、新しいスーパースターを見せるチャンスにもなった。毎週俺がリングに出るたびに観客は「今日は誰が挑戦するんだ?」ってワクワクしてた。新しい才能がどんどん出てきて、俺はそいつらから学べた。彼らにはチャンスが与えられて、“大きな場で良い一撃を決める感覚”を味わえた。そうすれば、そこから先、自分が成功したのか失敗したのかがわかる。そして俺はベテランとして学び続けられた。

それが、俺が人のところへ行って学んでいた実例の一つだ。

トム:「言葉より行動の方が雄弁だ」とよく言うよね。君はMake-A-Wishで“史上もっとも多くの願いを叶えた人間”だね。あの経験から人の精神や死について何を学んだ?

シナ:俺は人がMake-A-Wishの仕組みを知って、俺がしてきたことを“やらない”という選択肢を取る姿が想像できない。だからそれを“功績”とか“業績”として見たことがない。もし君が同じ立場だったら、同じことをしてたと思う。ここにいる人の誰だって、Make-A-Wishがどういうものか知ったら「大変な状況と戦っている人が、人生でただ一つ望むことが“あなたに会うこと”なんです。時間はありますか?」って言われたら、やると思うんだよ。

もちろん、どこかで限界は来る。でも、もしできるなら——100%やる。それだけだ。

だから俺は、あれを“賞賛されること”としてとらえたくない。あれは本来、みんなが当たり前にやるべきことだと思ってる。

それはあくまで俺の見方であって、みんなの“真実”じゃない。他の人には違う意見があるだろうし、誰だって自分の事情がある。
Make-A-Wishで学んだのは、“喜び”の力、“現実から逃れられるひととき”、背負ってる荷物をちょっと下ろして、日常のことを忘れられる“休息の一日”のエネルギーだ。
人間の精神は、本当に命が尽きたときにしか消えない。どれだけ厳しい状況でも、その精神は残る。それが本当に美しいんだ。

それに、どれだけ静かで、どこか物悲しさすらある瞬間でも、あれは確かに“美しい”時間なんだよ。
そしてそれは、「俺たちは全員、同じ終わりに向かっている」ってことを思い出させてくれる。俺たちはただの“借り物の人生”を生きてるだけなんだ。

そして同時に、数年前に自分の中で訪れた転機以来、
「今日も目が覚めたということに感謝して生きるべきだ」
って強く思うようになった。
だって俺は、統計的に見れば“十分に長い人生”を生きる可能性に恵まれている側だから。

死について学んだことは——
誰にとっても“死”はつらい。でも、人が“早すぎる形で連れて行かれた”ように感じるとき、それが一番つらい。
Make-A-Wishで関わる子どもたちの多くは、毎日を必死に戦って、でもその“毎日”がもう長く続かない子たちだ。多くはあまりにも若くして亡くなってしまう。
だから俺は、自分が“もう十分に生きてきたんだ”ということを理解するようになった。

そして言ったように、
「俺は明日死ぬつもりで生きてるわけじゃない。でも、いつ死ぬかなんて俺には選べない」
もし明日が最後の日でも、俺は穏やかに受け入れるよ。

トム:スマホに“生きるための助言”ってメモがあるんだけど、今のその言葉は必ず文字起こしして保存するよ。今だけじゃなく、これからの人生全体で必要な言葉だ。本当に素晴らしい答えだ。

シナ:ありがとう。

トム:WWEチャンピオン、プラチナディスクを獲得したヒップホップアーティスト——あのアルバム、今年で20周年だよな。唯一、“続編が出ていないプラチナアーティスト”。だよね。続編はどこ行ったの?

シナ:ヒップホップは若い奴らの世界なんだよ。俺はもうそこにはいない。
それに、あの経験から「俺の仕事は俺一人で成り立ってるわけじゃない」ってことを学んだ。

それに当時の俺ってさ、ヒップホップへの愛は“反抗期”から来てたんだよ。
当時は“ラップ”って呼ばれてて、商業的なラップもあったけど、80年代後半あたりから“反抗の声”になっていった。

10代や若い頃の俺には、それがどんな内容であれ響いたんだ。たとえば、コンプトン(※ロサンゼルスの南に位置する都市でアフリカ系・ヒスパニック系住民が多く住んでいる)のシステム的な差別を俺が経験することは絶対にできない。でも、彼らが“警察なんてクソだ”と言えば、俺にとっては“親が警察と同じくらい厳しい存在”みたいに聞こえた。それが当時の俺にはちょうどよかった。

俺はヒップホップの“反抗的なエネルギー”が大好きだったんだ。強さ、真実、メッセージ——彼らは何も隠さず言っていた。

トム:WWEチャンピオン、プラチナアーティスト、ベストセラー作家、慈善活動の象徴、映画・テレビスター…次は何をするの?

シナ:たぶんこれは誰にでも聞く質問なんだろうけど…俺にもわからない。
でも、それが“好奇心”なんだと思う。俺には、そのどれひとつとして「これを目指して生きていくぞ」って決めて進んだものはなかったんだ。ひとつもない。全部が偶然。君が挙げてくれた全部 ― スポーツエンターテインメントで成功したことも、音楽でまぐれみたいに注目されたことも、フィランソロピー(人々や社会全体の幸福向上を目指す、利他的な社会貢献活動)に関わるようになったことも、それから第二のキャリアに繋がる山を登ったことも ― どれも俺自身が「この道でいく」って計画した人生じゃない。

全部、“機会がノックしてきたから扉をちょっと開けてみた” ってだけなんだ。「ああ、いいよ、入ってきなよ」って感じでね。

そしてどれも、たくさん挑戦して、たくさん失敗してきた結果でもある。

フィランソロピーの世界には本当にたくさんのジャンルがあって、俺も色々試してきた。でも、一番しっくりくるのは、俺が時間も労力もリソースも一番そそいでる分野なんだ。

スポーツエンターテインメントだって偶然だった。俺は別の方向に進むつもりだったのに、「その前にちょっとこれ見てみない?」って機会がやってきた。

ラップだって偶然だった。しかも二重の偶然だよ。最初に流された曲を聴いて「いや、これより俺の方がうまくできるだろ」って思ったんだ。「待てよ、本当に俺の方がもっと良くできるな」ってね。

当時は今みたいにiPhoneでミックスできる時代じゃなかったから、スタジオに行かなきゃいけなかった。「いとこの知り合いに誰かいないかな」って探して、なんとか人を見つけて、10,000ドルかけて “Basic Thuganomics” を録った。

それをWWEに持っていって「これ流してみない?」ってお願いしたら、「これお前か?…まあいいよ」みたいな感じで流してくれて。そしたらウケたんだよ。

そこで「次もやらなきゃだな」って話になって、いとこに「音楽続けたい?」って聞いたら「いいよ、やろう」って。「じゃあ何が必要?」
「さあな、まあやりながら覚えていこう」って感じでね。

失敗して、失敗して、また失敗して…アルバムに入らなかった曲が70曲くらいある。
だから続編なんて必要ないんだよ。残すべきものだけ残して、世に出すべき曲だけ出せた。俺は運が良かったんだ。

映画だってそうだ。2009年には、質の悪いDVD化もしない映画ばっかりやってて、映画業界から追い出されるような形だった。「二度とこの街で仕事はできないぞ、坊主」ってね。

そこからニュース番組に出たり、“Today Show” に出たり、ESPYsの司会をやったり、キッズチョイスアワードをやったりして、「俺は何が好きなんだ?」って考えた。

俺はライブの観客が好きだし、人と同じ空間にいるのが好きだし、会話が好きだ。
司会ってWWEと似てる。俺は開幕のモノローグをやるタイプだしね。
「よし、それでいこう」って少しずつ動き始めた。

すると、「キッズチョイスアワードで見たよ。YouTubeのキャラの映画をやってるんだけど、自分のパロディをやってくれない?」って声がかかった。「透明なお父さんと友達になって、冷蔵庫に住む役だけど大丈夫?」みたいなやつね。
「いいよ、やるよ」って引き受けた。

その後、「ESPYsで司会してるの見たよ。今作ってるコメディ映画のオーディション受けない?」って言われて、
「もちろんです、アパトーさん。『Trainwreck』で読み合わせさせてください」って話になって。

『Trainwreck』の撮影現場にいるとき、長島でちょうど『Sisters』を撮ってて、ティナ・フェイがジャッド(アパトー)に電話したんだ。
「ねえ、ドラッグディーラー役が必要なら、今こっちにいい子がいるよ」って。

全部が偶然なんだよ。ひとつも計画して進んだものなんてない。
でもそれで良かったとも思ってる。
そのおかげで、何かの答えが「NO」だったときや「それが精一杯か?」って言われたときに、必要以上に落ち込むこともなくなった。

これが今の俺に出せる“ベスト”なんだ。今こうして1時間、君に集中して話してるけど、ほかに何を出せるのかって言われても分からない。
この後はサイン会に向かうけど、それも俺のベスト。
その次は会えるのを楽しみにしてる人たちに会える時間だし、その後はTVの収録だ。誰かを雑に扱ったりもしない。

俺は、目の前にある“次の仕事”が何であっても、徹底的に準備する。
今日だってずっと前から準備してきたくらいだよ。
「本当に今日でいいの?」ってなるくらいに。でも「今日がその日だ」って言われたら、
「よし、じゃあどうやって最高にできるか?」って考えるんだ。

唯一気にするのは、「レスリングについて聞かれる質問をどうやってかわすか」ってことくらいだな。
それも問題ない、やりようはいくらでもある。

大事なのは、自分の前に与えられたチャンスをちゃんと理解することだと思う。
もし心から望んでることがうまくいかなくても、
“いい仕事”をしていれば、必ず道は開ける。本当にそう信じてる。

いい仕事をしようとする人には、必ず居場所がある。
それが自分の望んだ形じゃなくても、思い描いてたポジションじゃなくてもね。
メジャーで打席に立てる選手は限られてるけど、野球っていうスポーツ自体にはたくさんの人が必要だろ?だから野球を本気で愛してるなら、“いい仕事”は必ず見つけてもらえる。

チームもそうだ。
情熱を持ってくれる人を歓迎する。
「もう自分がプレーする時間じゃない」としても、自分が持ってる才能や経験を次の世代に渡せるんだから。

だから俺は、“セカンドマウンテン”としてアンバサダーになることを楽しみにしてる。
アンバサダーっていう役割が、「もっと多くの人にこれを見てほしい」っていう、俺が元々持ってた目標につながるかもしれないし、メンターとして若い奴らと向き合えるかもしれない。

「お前は誰なんだ?」
「どうやってバスの中で起きた“ラップの瞬間”みたいなものをテレビに引き出すか?」
そういうことを一緒に探ったりしたいんだ。
あの感じを持ってる人間をテレビに出したい。男でも女でも関係ない。
そういう未来が楽しみなんだ。

トム:君はこれを“偶然”って言うけど、
私に言わせれば“セレンディピティ”(※思いがけない偶然から幸運な発見をする能力やその出来事)だな。幸運な巡り合わせの連続だよ。今日の時間、本当に楽しかった。
現実味がないくらいだったし、またぜひやりたい。

シナ:最高だったよ。それに、プロレスの善玉悪玉の話とか、裏話とか、いくらでも話せる。
欲しいネタも十分あるだろ?クリックベイト(撮れ高)は足りてるはずだ。

トム:大丈夫、困らないよ。いや、むしろそれ以上のものがあると思う。
君は本当に多くのことを抱えながらも、
初対面の、髪型もイマイチなジャージーの男に対して、
こんなにもオープンで、真剣で、誠実に向き合ってくれた。本当に感謝してる。ほんとだよ、ジョン。
君の献身は、本当にすごい。


シナ:そしてその“感謝の心”も、俺は大事にしてる価値のひとつなんだありがとう。

(記念撮影後)

シナ:これは録画してもいいし、切り抜いてもいい。ただ、記録に残しておきたい。
君が自分の仕事を極めて、そのスキルをレスラーたちに振りまいてくれてること。
それが俺たちを“もっと本物”にしてくれてるんだ。

君の情熱と、君の専門性と、そして“この世界を好きでいてくれる気持ち”が合わさって、
俺たちを助けてくれてる。それが本当にクールなんだ。

だからもし俺がその恩返しを少しでもできるなら、それは嬉しいよ。
今日の時間は最高だった。またやりたい。そして、本当に、ただ「ありがとう」と言わせてほしい。

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