コーディ・ローズがテリー・ファンクにオマージュを捧げる
≪コーディ・ローズ登場≫
マイケル・コール:今夜、テリー・ファンクの追悼をするためにコーディ・ローズがここに来ているのはふさわしいことです。テリー・ファンクはそのキャリアを通じて多くのライバルと闘いました。ジャック・ブリスコやパット・オコナー、ジャイアント馬場、ハーレー・レイス、ジェリー・ローラー、そしてもちろんコーディの父、アメリカン・ドリーム、ダスティ・ローズ。
コーディ:ルイビル、ケンタッキー。 今夜話したいことは決まっている。俺はある時を話したいんだ。 11歳のときデンバー空港で俺は父と一緒に空港内の列車に乗っていたんだ。そしたらある男がとても奇妙な侮辱を叫んでいた。 父を卵を吸い取る犬呼ばわりしているのを聞いたんだ。その人は俺の祖母にも言葉は選んでいたが罵っていたんだ。でもその叫ぶ男を見ることはできなかった。だから11歳の俺は何か家庭内の問題が起きるのかと思っていたんだ。そしてその後彼を見た。 それはダブルクロスランチ牧場の経営者、テリー・ファンクだったんだ。
今はどう使われようとしても、俺たちはこのリングに上がる者たちを名乗ることができる。自分たちがWWEスーパースターだって最高にクールに名乗ることができるんだ。
さて何年もの間、俺たちは他の呼び名で呼ばれてきた。レスラーと呼ばれことも、アスリートと呼ばれたこともある。アーティストと呼ばれたこともある。商売敵と呼ばれたこともあるし、巡回する見世物芸人と呼ばれたこともある。
でもカウボーイと名乗る権利を得た伝説的な数少ない人たちがいる。
テリー・ファンクもブレイ・ワイアットも、いい意味でカウボーイズだった。
では、テリー・ファンクについてお話ししましょう。
(テキサス州)アマリロ出身の2代目スターで、10ポンドの金を誇り高く身につけた男だ。
ウェストテキサス州立大学に通っていた男だ。そしてテリー・ファンクは50年間プロレス界とスポーツ・エンターテインメント界で不動の地位を築いてきた。
そして50年間。 テリー・ファンクは常に変化し続けてきた。
業界にはラブという要素があるんだ。これは価値や影響力を持つ人が、それを持たない人々とリングに入り、手を差し伸べて彼らを自分のレベルにまで引き上げるというものなんだ。伝説を1つか2つ作るために一部それを行うこともあるんだけど、テリー・ファンクは会社全体、業界全体に革命を起こしたんだ。 さあ、このカウボーイの殿堂入りのキャリアを見てみよう。
≪テリー・ファンクのVTR≫
コーディ:テキサスから東京まで、テリー・ファンクは情熱的だった。彼は非常に情熱的でテーブル、ラダー、チェア、などのハードコアを熱狂的に追求したんだ。そして俺はとても嬉しいんだ。俺には次のタッグチーム試合をテリー・ファンクの・ードコアマッチであると伝える権限を与えられたんだからね。
LAナイト、ブレイ・ワイアットに感動的な賛辞を贈る
LAナイト:ミズについては後で。
だけど今はブレイ・ワイアットについてだ。
今夜この会場に足を踏み入れた時、みんながホタルのようにスマホをかざしているのを見て考えさせられたんだ。
時には最大の敵が最大の味方になるという事実を思い返したから。。
正直に言わせてくれ。ブレイ・ワイアットと俺は地獄を経験した。あいつは俺に想像できる限りのことしてくれたし、俺もあいつにできる限りのことを返した。
素子れあいつは俺にあらゆる準備をさせてくれたんだ。
正直に言うと今夜あいつの家族の写真を見るまでは、自分自身をうまく保っていたんだ。正直に言うよ。胸が張り裂けそうだよ。でも周りを見渡すと聞こえるし、感じられるんだ。ここにいるホタルたちの1人1人が、ブレイ・ワイアットの魂をこの会場にもたらしているんだ。
ここであいつと俺が親友であるかのように振る舞うつもりはないけど、同じ感情を繰り返そう。ありがとう、ブレイ。
あなたのおかげでここに立って話をすることができるんだ。
ミズはスクリーンに映し出され、TMZに出入りしどこにでも行くんだ。あいつは同じような古くさいネタを言う。あいつはただの一時的な流行だって。でももし俺がただの(アティテュード・エラの)ファンだったとしてもそれでいいんだ。
代役であったときでもあいつはスターだった。
12年前のチャンピオンの話だって、ロックとジョン・シナのストーリーの背景になっていた。それでもお前は俺のことを話したがる。
LAナイトを終わらせたいんだろ?LAナイトを終わらせたいのなら、永遠にというのは非常に長い時間だ。いつでも、どこでも、スマックダウンでもロうでもTMZでもいい。みんなが言わなくても、誰のゲームなのかきっぱりと教えてやるよ。
≪L・A・ナイト YEAH!≫
さて、もうひとつ。ミズ
ある賢者が言ったんだ……今度俺に会ったら…逃げろって。
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