ジェイコブ・ファトゥがプロレスラーになろうと決心した瞬間

ジェイコブ・ファトゥ

ジェイコブ:俺の名前はジェイコブ・ファトゥ。伝説的なレスラー、トンガ・キッドことサム・ファトゥの息子だ。カリフォルニア州サクラメント出身、ゴールデンステート育ちだよ。ここは愛にあふれてる場所さ。人生が厳しいって言うかもしれないけど全体的に見れば、俺はいい家庭で育った。両親や兄弟姉妹に感謝してるよ。愛しかないね。

正直、子供の頃はプロレスをやりたいなんて全く思ってなかったんだ。でも俺が18歳の時、強盗の罪で捕まったときに変わった。刑務所に入れられて、サクラメント郡の監獄に収容された時、ある日テレビを見ていたんだ。どの部屋にもテレビがあるなんて奇妙だろ? チャンネルを回していたら、誰が映ってたと思う? 俺の従兄弟、ジミーとジェイ・ウーソだ。タミーナと一緒にタイソン・キッド、デイビーボーイ・スミス、ナタリヤと試合してたんだ。18歳で監獄にいた俺がテレビで兄弟たちを見てそこで決心したんだと思う。

おかしな話だけど、夏になるといつも叔父のリキシの家に行ってたんだ。そこにはリングがあって、プールとリングの間にトランポリンが置いてあった。そのリングからトランポリンを経由してプールに飛び込むって感じで、そこでバク転を覚えたんだよ。でも本当にレスリングをやろうって思ったのは、刑務所で兄弟たちを見た時だった。

出所してからすべてが動き出した。ロサンゼルスの仲間たちが助けてくれて、叔父のリキシがロサンゼルスでレスリングスクールをやってたんだ。そこにはギャングレル(デビッド・ヒース)、叔父のリノ、そしてワイルド・ブラック・パールもいた。出所した時、妻がこう言ってくれた。「また刑務所に行くつもり? それはダメよ。子供たちが必要としてるのよ。」ってね。だから出所したその日に、彼女は俺をロサンゼルスに引っ越させたんだ。

数か月後、ウーソズの弟トミコから連絡が来た。「兄弟、ロサンゼルスにいるんだって? 何してるの? 何か予定はあるの?」って。俺は「バーで働いてるよ。毎晩60ドル稼ぐために用心棒をやってるけど、全然よくないな」って答えた。正直、俺はこの仕事を全然尊敬してなかった。なぜなら俺にとっては日常の一部でしかなかったから。食卓で父が電話で話す声や、叔父たちが出たり入ったりする姿を見ながら育ったんだ。

でも、この仕事が家族にもたらしたもの—良いこと、悪いこと、そして醜いことを見てきた。そして同時に、この仕事が与える成功も見てきた。だからやってみようと思ったんだ。

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